2017年8月下旬のとある朝。偶然にもトンボとシジミの対決を見ることができました。全40分に及ぶ一部始終をご覧ください。
●地上からの襲撃
三和土(たたき)のタイル上にトンボ発見。
え?とんがり棒の先ではなく、地面? 変なところにいるなぁ、と思いつつ観察。(写真は7:56)

目の前なのに、こちらを気にもせず一点集中。

首をクリックリッと動かしつつ何かを見ている。(この間3分)

パッと飛び立った先にいたのはヤマトシジミ。
組んずほぐれつの空中戦。
直線のトンボとヒラリとかわすシジミ。なんだか遊んでいるかのよう。
●枝上で30分観察
あしらわれてしまったトンボは一旦引いて、近くの低い枝に止まりました。そう、丁度シジミが飛ぶ高さくらいの枝です。

シジミは、相変わらず何事もなかったかのように飛んでいます。
なんだったの、あれは・・・? と思ってる間にも
またも頭をクリックリッと動かしています。観察してるんでしょうか。

下の写真―上と同じに見えますが、実は20分が経過しています。

さらに10分が経過・・・
●ノ―モーションでストレート
枝にとまってから34分後―パッと直進!
ノ―モーションで繰り出すストレートみたい。いやはやこんなにも定規のように直進するんだね~。
で、次の枝に止まったときは―・・・あれ? なんか捕まえてる。

もしかして・・・
シジミ?

わお、食べてる・・・
改めて、トンボって・・・肉食だよね~
●チャンバラと突き槍
最初は下から上を狙った。地面から20cmほど上、かつ80cm圏内くらいの近距離だった。が、はしこいシジミにかわされた。
次は、水平を狙った。2mくらいの中距離だ。
なるほど・・・トンボは槍、もしくは矢だね。
最初はチャンバラだったので、ヒラリと身をかわすチョウをいかんともしがたかったが、次はトンボの直進性能と素早さを最大に活かした作戦。シジミにしてみればいきなり飛んできた突き槍(矢)をかわす間もなかったわけだ。
一度の失敗で次は作戦を変えるあたり、トンボも凄いよね~。
で、食べ終えた後、別の枝へ。食後の顔―

手足が汚れまくっています。わお、口拭いてる・・・
いやはや、凄いね。
●シジミの楽園
なんだか一休みの風情。これまでのピンと張った緊張感がありません。羽根を止めたヘリコプターのよう。

ところで・・・我が庭の主(シジミ)達はいつも3番(つがい)で6匹(どうも“頭”は家畜的イメージがするので、“匹”にしています)はほぼいるので、5匹に減ったか?―と思って数えてみると・・・10匹もいました!
賑やかですね~。んー、だから、トンボも来たのか・・。
庭に花がないと淋しく、花が咲くだけで華やかになりますが、
さらに蝶が舞っていると静の華やかさに動の生命力・躍動感が加わって、「生きた庭」になりますね。
それに、庭いじりしている手や足の間を平気ですり抜けていきますから、可愛いものです。毎日、朝から晩まで庭を飛び回っているシジミを見ることができるのは幸せです。
毎日この小さな世界を楽しそうに舞っているシジミを見ていると、もっといろんな花に出逢わせてやりたいなー、という思いがわいてきます。色とりどりの花があったら楽しいだろうなー、と。だから、ついついホームセンターに行くと買ってしまうんですね~。
●小さな生態系―「里庭」
そういえば、窓のすぐ上に雨樋があって、屋根や雨樋を数羽の鳥が歩く足音がし、見ていると、そこから桜の木や垣根に飛び移ったりしていますが、補食できる虫がいるんでしょう。
カナヘビも葉の上から蝶を狙ってジャンプしたり、垣根の間に貼ったクモの巣に蛾がかかってバタバタしていたり、蟻が死んだミミズにたかっていたり―子供時代の懐かしい光景がここに再現されています。
そして、毎朝庭の片隅で寝ている猫。引っ越し当初は猫にとっては私たちが闖入者で、2、3匹が庭を横切ったり、時折くさい糞をして縄張りを主張したりしていましたが、攻防の末来なくなり、やがて再び1匹が庭の片隅にある小さなポンプ室(地下水くみ上げ用の水道)の上に来るようになりました。
その猫は、来ないときは当分来ず、来るときは時折夜の間寝に来るだけで悪さはせず、朝になるとどこへともなく消えていきます。庭に糞をしないなら、別に追い出す必要もありません。猫がいれば、ネズミも来ないでしょう。つまり、境界を保ってうまく共存しているわけです。
小さな生態系がここにあります。
●ひふみよいむなやこと
あ~、ここには「ひふみよいむなやこと」が揃っているなぁ、と思いました(魚がいませんが)。
ひ 火
ふ 風
み 水
よ 土(世)
い 草
む 虫
な 魚
や 鳥
こ 獣
と 人
この全てが神の分け御霊。森羅万象が神です。
が、「ひふみよいむなやこ」までは生態系を維持していますが、最後の「と」が大いに勘違いして生態系を破壊しています。
私たちが、生態系の一員であることに目覚めたとき、「ひ」から「と」までが一貫して、初めて私たちは「ひと」になるのでしょう。
●「さぁ、この世界をどうしたい?」の答え
ふと、あの「問い」を思い出しました。そう、庭造りを始めるきっかけとなった、これ↓
今、雨が上がった。
大きな虹が出ている。
湿った土の匂い。
あなたは今ここにいる。
さぁ、この世界をどうしたい?
それをゼロから考え直せ。
心のどこかにこの問いがあったのですが、まさにこの状況がその答えだ―そう思いました。
私は、自分の手が入った庭を見るのが落ち着くし、楽しい。
そして、生き物たちが伸び伸びと自由に振る舞っているのを見ることが嬉しい。猫が安心して寝ているのを見るのも嬉しい。
それに、日々変化しているので飽きることがない。
飽きないのは、そこに多様な生命がいるからだ。
そして、弱肉強食も含めてそこが調和しているからだ。
放っておいても生態系はできるだろうけど、例えば植物は伸び放題でスパゲティ状態になったりする。病気を放置すれば枯れていく。侵入動植物を放置すれば日本固有種が絶滅もする。日照りが続けばそれらも含めて全滅だ。だから、人が適切に手を加えることが大切だ。
金曜日の朝のNHKで大雨で氾濫した男鹿川の復興が紹介されていましたが、イワナやヤマメの復活を目指して全国から40名の釣り人のボランティアが集まり、倒木をどけたり、川の中に魚が生息しやすいように岩や砂利を入れたり、手作業で頑張っていました。
その方々の言葉が忘れられない。それは、自然は時に大氾濫し、それまでの景観や生態系をぶち壊すだろう。けれど、その都度その都度人の手で新たに生態系を育てていく―という内容のもの。 これだ!
この世界をどうしたいか?
豊かな生態系を作りたい。それを孫に残したい。
そのために人間のすることは?
もう、答えは出ています。
人間は地球の「庭師」なのです。
それも、自然を活かす日本の庭師。
そして、生態系を復活し循環させる庭師。
だから、庭師的感覚の人を増やすことが地球を救うことになるでしょう。
そして、人が自律に向かうことは庭師的感覚の人が増えることになりますから、そう、このまま行こう―そう思ったことでした。