はじめに

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●「里庭」とは

「里庭」はミニ里山―と、「里庭ガーデニング」の著者神保賢一路さんは言われています。里山とは「人の影響を受けた生態系となる人里に近い山」のことで、最も豊かな多様性がある自然です。
実際、『数十年無居住化した里山では、長期的な生物多様性の劣化が生じ、森林性の生物の回復が限られる』ことが、国立研究開発法人国立環境研究所の調査で明らかになりました。豊かな自然を維持するためには、人手も必要ということですね。
そのことは、木の剪定を始めて実感しました。自然に奇麗な樹形に育つ木もありますが、多くは忌み枝も生じ、それらを放置すると、害虫や病気の多発に繋がります。忌み枝を剪定することで美しく健全な樹勢を維持できるのです。


●シャガが示していること

シャガを植えて驚きましたが、シャガは種を作らず根茎を伸ばして自己増殖して増えていきます。つまり、シャガはソメイヨシノと同じく、全てが自分(クローン)=「永遠の生命体」なのです。
けれど、小さなものから大きなものまで現れる形は様々で、同一だけど個性豊かです。「神の分け御霊」という言葉を思い出します。
そのシャガが山地から平地まで各地にみられます。シャガの繁殖の仕方ならば、かような散在はありえません。種がないので、風で飛ぶわけでも、虫が媒介するわけでも、鳥が実を食べて糞で種を落とすわけでもありません。「人が持ち帰って植える」以外に散在できる方法がないのです。ということは、シャガは人が自分を散在させてくれることを知っていた(?)ということ。シャガは(風・虫・鳥)媒花ならぬ「人媒花」なんですね。

実際、私がシャガを植えたいと思ったのは、とある山中を一人歩く中、日の当たっている場所にシャガがすっくと立っているのを発見した瞬間、「女神だ!」と感動したことにあります。心細い身に、暖かさと勇気が宿りました。
このように魅了された人々がシャガを持ち帰って守り神のように植えたのでしょう。かように、人間を利用する花もあるんだと驚きました。シャガは、人間も自然界の一部であることを証明している花だと思いました。

シャガや木の剪定の体験から、豊かな自然を維持するためには人手が必要。寧ろ、「人は地球の庭師である」という意識が強くなりました。


●庭の始まり-2014

2014年春。老々介護が限界にきた両親を引き取って二世帯同居が始まりました。
同居に当って、父の生きがい確保と免許を手放させることを念頭に立地&物件を探しました。父の生き甲斐の一つが畑仕事であり、車椅子生活の母も花好きでしたから、庭付きであること。車がなくても生活ができる街であること。で、街中の庭付き物件を探すことになり、見事に見つかったわけです。
父は更地の庭を畑にしましたが飽き足らず、近所に畑を借りてそちらに没頭しました。朝のラジオ体操にも出てお年寄り仲間とのお付き合いも始まり、オートライフ一辺倒だった生活スタイルが革命的に変わりました。


●庭いじりの始まり-2017

私自身は、庭付きの家になっても父用という認識があったので、さほどの関心は持っていませんでした。父が外の畑に没頭し始めた2016年くらいから、殺風景になった畑に花を植え始めました。そして、腰かけでなく取り組んでみようと思ったのは、2017年1月に次のメッセージをもらったからです。

●ニックネーム「里庭野親」について

・・・あれから9年―今や生命循環する庭になりました。
その間に両親は去り、孫が2人生まれ、そして今年2025年から娘家族と二世帯同居しています。移ろいゆく時の中で、庭もまた移ろい続けて同じ姿はありません。その全ての在り様が美しく、一期一会です。

上の孫が4歳くらいの時だったか、庭からリビングに上がってきた私に思わず訊いてきました。
「じぃじは、庭のお母さんなの?」と。
笑ってしまいましたが、まめに庭の世話をしている様子を見ていたのでしょう。
私のニックネームはそのまんまですがw、次の4つの思いが含まれています。

  • 両親のために見つけた街中の庭を里庭にしたい
  • ユングが「石の塔」に没頭したように、庭に没頭したこと
  • 孫に言われた「庭のお母さん」
  • 「人は地球の庭師である」という思い

●里海と里山

ところで、里山があれば里海もあります。
里海とは、「人手が加わることにより生物生産性と生物多様性が高くなった沿岸海域」のことです。
里海づくりは5つの要素「物質循環・生態系・ふれあい・活動の場・活動の主体」からなるそうで、これを里庭に当てはめると次のようになるでしょうか。

  • 物質循環」 栄養素(土壌環境:土質、土壌細菌)
  • 生態系」  生命循環
  • ふれあい」 手入れと恵み(植物利用、フィトンチッド、メンタルヘルス、土・電子を流すetc)
  • 活動の場」 庭(外から見ると、心理的にも大きな影響を与える地域内景観の一つ)
  • 活動の主体」私&家族

この里海を里山が育んでいます。
全てはつながり、循環しています。
山を守らなければなりません。


●遠ざかる人と自然と現実

ゲゲゲの水木しげる氏が子供の時代は、自然の中でかなりハードな肉弾戦(戦争ごっこ)をしていました。
私が小さい頃もまだ子供社会(縦社会)は生きていて、小1~中学まで男女一緒になって集団で遊んでいました。何より、身近に自然があり、そこからたくさんのことを学びました。人や自然との触れ合いがありました。

現代は、身近な自然がコンクリートで埋められ、地域とのつながりも薄れ、小1からギガタブなど持たされます。学校でも画面を見、学校から帰ると家に閉じ込められてYouTubeやマイクラといった画面を見、スマホを持つようになると画面を見、外に出るのは習い事―といった子も多いかもしれませんね。人や自然や現実との触れ合いが、圧倒的に減らされているように思います。

●自分を支えてくれたもの

また、自分を見守ってくれているものがある、自分は支えられている、という思いがどこかにある人は、自分を建て直していくことができます。
私の場合、私を支えてくれたのは、親ではなく自然でした。小学生のとある夏、里山の中で一人寝ころんだ時、大地が自分を支えてくれていることを感じたのです。
また、「実存」を突きつけてきたのも自然でした。吹きすさぶ吹雪の大地に一人立った時、否応なしに命、存在を突きつけられました。

母なる大地と父なる大地―この2つの体験が私の両親です。
だから、自分を護り、育んでくれた自然を守りたいという思いがあります。

●森田三郎さんが教えてくれたこと

森田三郎という人がいます。氏は、悪臭漂うゴミ捨て場のヘドロ沼となり果て、埋め立て計画まであった谷津干潟にたった一人で立ち向かいました。
「きちがい三郎」と揶揄され、彼の努力をバカにするように目の前でゴミを捨てていく輩がいる中、何故彼はへこたれなかったのか?それは、美しい谷津干潟が自分を育んでくれたという思いがあったからです。

「石の上にも3年」―やり続けた彼に、近隣から支援者が現れます。そして・・・彼が一人で始めてから11年後、ついに埋め立て計画は撤回され、今や渡り鳥の生息地(ラムサール条約登録地)になっています。頭が下がります。

意志を持てば、取り戻すことができる―それを氏は教えてくれました。

●遊んで地球を取り戻す

奪われたものを、取り戻していかなければなりません。
なぜなら、
美しい地球を孫に残したいからです。
このサイトの底流に流れるのは、たった一筋のこの思いです。

―と言ってやることは、「自然と楽しく遊びましょう」「自然の美を愛でましょう」ということですw。
実は、その時々の庭に「今が最高!」と思いつつ過ごすようになったある日、その風景を愛でるのも充実感ありますが、もう一つの思いがムクムクと湧いていました。それは、せっかくこういう環境を用意したんだから、ここを使って存分に遊んでくれよ―という思いでした。だから、カナヘビの子が冒険していたり、蝶がつがいで乱舞していたり、シジュウカラが集団で虫取りに来たり…それらを見るのが大好きでした。

人はホモルーデンスです。「遊びをせんとや生まれけむ」なんです。
かつて組織に居た時も、どこかに遊び心があったので、難題を乗り越えることができました。それは、一分一秒を追われる中でも、どこか心に余裕があることで冷静を保てたからでしょう。

何事も遊び心で参りましょう。
楽しみましょう♪


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