10年前、老々介護が限界にきた両親と暮らし始めて、一度だけ父に激怒したことがあります。
きっかけは些細なことでしたが、後で振り返って「あぁ、あれが許せなかったんだなー」とふいに腑に落ちつつ、それにしても、そこまでの思いと怒りがあったのか…と自分に驚きました。
その少し前のこと。雑草がとてもいい感じに庭に生えそろってきており、私はそれを見るのが好きでした。
ただ、前年の体験から父がそれらを根こそぎにすることが予想されましたので、「ここはやらなくていいから」と言ってあったのです。
が、しばらく後のある日、根こそぎになっていました(当然父は、言われたことなど忘れているフリ)。
表層意識は、「もうどうにもならないし、仕方が無い」と収めたつもりでしたが、私の中の「小さいちゃん」は相当に怒ってたんですね。
思考で懐柔誤魔化しをせずに、「悔しい!腹立つ!ムカつく、クソじじィー!」「残念、悲しい、淋しい」「ごめんね」等々の思いを、湧いて来るままに声に出して自分で受け止めていればスッキリと軽くなり、その後の別件での激怒はなかったでしょう。
自分が本当にそれらの雑草が好きだったんだという思いに気づいてなかったことが、後の怒り(代償行為)につながったわけです。自分(小さいちゃん)の思いを無視されたことに対する「小さいちゃん」の私自身への怒りも付加されているので、激怒になったわけです。「ゴメンね~、小さいちゃん」と謝りました。
ではなぜ、それほど草が好きなのか?
思い出すのは、「はじめに」の「自分を支えてくれたもの」の項で少し触れましたが、『里山の中で一人寝ころんだ時、大地が自分を支えてくれていることを感じた』光景です。
まぶしい太陽、行く雲、顔をなでるそよ風、耳に心地よい葉ずれの音、立ち昇る草いきれ、腕をチリチリと這う蟻、野アザミ、足裏をくすぐる草草・・・
私はただ一人。
静けさの中で、暖かな大地に横たわっていました。
大地に同化し、その一部になったかのようでした。
それなのに大人になってその光景がふと蘇った時、自分が「今、此処に在る」という感覚が沸いてきたのです。それは、自分の全存在が大地に受け止められていたからなのでしょう。
自分が無となって大地と同化していたように感じていましたが、それは同時に、自分という存在が浮き彫りにもされていたわけです。それは、ただただ「五感」「実感」と共に居たからでしょう。

そう、丁度こんな感じ
私の両親は、産めよ増やせよの時代で2人共母親との縁が遠かった。母親と繋がれない子は、母親との関係性の中で「これはやってはいけない」「これをやったら嫌われる」「これをすれば見てくれる」という母親像を勝手に創っていきます。私はそれを「脳内母親」と呼んでいますが、両親共に「脳内母親」に認められるための言動を続けた人生でした。
つまりは、2人の意識は常に「脳内母親」だけを見ていて、子ども達(私と妹)は見ていなかったわけです。
私が1歳になる頃に父の職場の女性が訪れて来たそうで、その時私がその方にしがみついて離れようとせず困った―と父が話したことがありました。
今は、私がどれだけ孤独の中に居たかがわかるので、まさに溺れる者藁をもつかむ思いだったんだろうと、その場面が浮かぶようです。
だから、「デラシネ」(根無し草)という言葉に出逢った時、あ、私のことを表す言葉があった!と感じたものでした。
いわば親が居なかった(親というアンカーがなかった)ので、「生まれながらのデラシネ(根無し草)」という感覚があったわけですが、その私を受け止めてくれたのが、あの里山の自然だったのです。
あー、私は自然(太陽と風と草花と大地)に抱かれていた。
草々が、私の母親だった・・・
だからだ!
あの見ていたかった雑草たちは、私の母親だったんだ。
その母親を父は根こそぎ消し去った。
私から奪った。
だから、あれほど激怒したんだ・・・
―と不意に腑に落ちたのでした。
そういえば、小さい頃「自然のアルバム」が大好きで、いつも一人で見ていたな~。自然が私の母親だったんだなー、とつくづく思います。
だから、大気汚染や水質・海洋・土壌汚染、化学物質汚染(農薬肥料他)、放射能汚染(原発、原爆)や遺伝子組換汚染(モンサント)等々の反自然的な行為に怒りが湧くのは、私にとって「母親(地球)を守る意識」だったのだと思います。